毎年5月に行なわれ、
全国から観光客が訪れる『葵祭』。
京都で行なわれる石清水祭、
春日祭と並ぶ『京都三大祭』の一つです。
でも京都といえば祇園祭では?
じつは、
京都三大祭と祇園祭はまったくの別もの!
観光でしか知らない『葵祭』由来や、
始まりの雑学をご紹介!
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葵祭りの由来はなに?
『京都三大祭』と呼ばれる内のひとつ、葵祭は朝廷のお祭!
というと身も蓋もないですね。
『葵祭』は日本で催される祭の中でも、
王朝風俗の伝統が色濃く残されたお祭。
もともと『祇園祭』は庶民のためのもの。
『京都三大祭』は貴族が参加、
見物するためのお祭なのです。
賀茂大神の祟りを沈めるため、
神様を喜ばせる神事を行なったお祭なんです。
もとは『賀茂祭』と呼ばれ、
江戸時代になってから葵で牛車や、
すべての衣装を葵で飾るようになったため、
『葵祭』という名前で呼ばれるようになりました。
始まった経緯は?
葵祭は平安時代に始まり、
大雨を治めるために行なわれた『祭事』です。
欽明天皇が治めていた567年、
大雨や暴風が吹き荒れ作物が育たないという危機がおとずれました。
どうすればいいのか、
勅命により占いをしたところ、
『賀茂大神』の祟りであると出たのです。
そのため4月の吉日に馬に鈴をかけ、
猪頭をつけた人たちが駆けて競うなど、
賀茂大神を鎮める『祭事』の葵祭が始まったのです。
当時は神聖な儀式の意味合いもあって、
一般の拝観は禁じられ、
高貴な身分の人たちだけのものでした。
応仁の大乱遺構に一度途絶えますが、
1694年に江戸幕府、朝廷の協力で再興されたんですね。
この頃から葵を使って祭りを行なうようになったので、
名称が『葵祭』となったのです。
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下鴨神社の神紋でもある『双葉葵』は、
男女を現し縁結びや出会いを守る紋としても有名なんです!
さらに時代は進み、
明治3年以降にも中絶されてしまいましたが、
明治17年に再度復興!
やったね!
今では『京都三大祭』として、
京都でも屈指の祭事として開催されています。
ちなみに4月の吉日に始まった葵祭ですが、
明治維新後に暦が変化したため、
現代では新暦で5月15日とされています。
賀茂の大神ってだれのこと?
葵祭の始まりともなった『賀茂の大神』とは、
正しくは『カモタケツノミノミコト』といいます。
京都下鴨神社の祭神であり、
神武天皇をたすけた『八咫烏』の化身でもあります。
賀茂の大神は古の時代、
京都をひらいたとされる神様!
神武天皇を導いたこともあり、
農耕や五穀豊穣、
殖産興業、病気平癒や厄除けなどなど。
実に多方面に御神徳をもった神様なんですね。
そして下鴨神社といえば縁結びですが、
これは賀茂の大神とならぶ祭神の『タマヨリヒメノミコト』なんです。
下鴨神社は西殿と東殿にわかれ、
賀茂の大神が西殿。
タマヨリヒメノミコトが東殿に奉られています。
京都でも最大級の敷地を誇る下鴨神社には、
葵祭の始まりの神様がいるんですね。
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京都は日本屈指の大きな祭が多い土地ですが、
かつて京があっただけに、
伝統的な風習が数多く残っています。
今では失われたものも多いのですが、
地元の人たちに守られ、
子どもたちに受け継がれる歴史。
風流で美しい伝統が、
日本だけでなく世界中から人がやってくる理由!
テレビで見てたけど、
葵祭はそんな由来だったのか!
と、ちょっとでも驚いてもらえたら幸いです!
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